私が自分のパソコンを手に入れたのは1995年8月である。 そこで当時のパソコン通信「ニフティサーブ」に出会った。今の@Niftyである。ここで顔を見ないで人との交流ができることの面白さに気づいたことがひとつの起点であった。
その年の11月に、かの「Windows95」がリリースされた。それまで「Windows3.1」に慣れ親しんでいた私は少し戸惑ったが、その先進性に私は打ちのめされそうになった。 そこには確実に「私を完全に変貌させるもの」が有った。
インターネットとの出会いである。
しかし世の中はすぐには動かなかった。「ニフティサーブ」は「我々はパソコン通信を今後も柱としていく。インターネットには参入しない」と明言していた。今では考えられないことだが事実である。(ライブドアの堀江貴文氏をインベーダのように言う人たちがいるが、当時のインターネットは知ろうとしない人たちには「訳のわからないもの」だったので、今堀江氏を排除しようとしている人たちと同様に、考えたくも無いものだったのだろう。)
私はその当時知らなかったが、「新しいものに正しく反応できない人」はとても多い。
私は直ぐにバックボーンがしっかりしていて安価なプロバイダーを探してほぼ一ヶ月使い倒してみて、これからは「インターネットの時代」になるとはっきりと認識した。
そこで、なんでも突撃してみないと収まらない性格の私はインターネットを広めるグループを作ろうと思い、いきなりホームページを立ち上げた。
「インターネット及びパソコン通信ニフティサーブ普及協会」(略称インターネット普及協会)。思い切った名前だが「インターネット普及協会」としなかったのは当時の「ニフティサーブ」の会員180万人への受け狙いである。姑息である。
何をしていたかというと、そこで会員を募り相互に情報を交換し、今で言うメルマガを出して優良サイトや有効ツール(無料プログラム)の紹介をしていたのである。そのころはメルマガなどという言葉すらなかった。
雑誌で紹介されたりして(日経クリック)結構会員も集まっていたのだが、雑誌類が同様のことをやりだしたり、私事が忙しかった事もあって2年程で閉鎖した。 閉鎖したがここで会長として活動して得られたものは、私にとって非常に大きかった。
「思ったことはそのまま言い、考えたことは即実行する」という現在の私のスローガンはインターネットに出会わなかったら、思いも付かないことであった。
なにしろ、40歳前の私は、思っても間違ってたらどうしようとか、言うのが恥ずかしいとか思って言わず、考えても石橋を叩きまくって壊し、自分で渡れ無くしていたのだから。
我が青春に悔いあり。(青春!幾つまで青春なのか疑問では有るが。まあ、男だからいいか!?)
実はもっと大きな悔いがある。今となってはもうどうしようもないのだが、「インターネット普及協会」をやっていた頃の私は不況業種造船で毎年赤字でやることが「コストダウン」しかないという状態にかなりへこんでいたので、「インターネット普及協会」や「インターネット」をビジネスに結びつけるという考えが出てこなかったことである。馬鹿です。
このような馬鹿ですが、自分の仕事のみでなく、世の中を見ることと、何故そうかと考える事に力を注いできた成果を生かし、人生の後半において世の中に貢献できる仕事として、必死で研究してきたインターネットの技術を使ってこの会社を始めることに致しました。
様々な方々のご支援にあずかりながら、好きな道で新しい仕事を立ち上げられた幸せを感じつつ、必死でがんばりますので宜しくお願いいたします。
最後にいつも明るく支えてくれる妻の光子に感謝!